【償い】トレンドのツボ
目次
はじめに
2002年、東京地裁で山室惠裁判長が示した感動の一幕があります。
暴行事件による傷害致死事件の裁判で、裁判長が少年たちにさだまさしさんの歌「償い」を語った話は多くの人々に衝撃と深い感銘を与えました。
このエピソードを振り返りながら、なぜこの言葉が注目されたのかを解説していきます。
事件と裁判の概要について
2002年2月、東京地裁で山室惠裁判長が審理した事件では、18歳の少年2人が東京三軒茶屋駅付近で暴行を加え、被害者の男性を死亡させてしまいました。
彼らは傷害致死の罪で起訴されましたが、法廷での謝罪は淡々としたもので、心からの反省が見られないと感じられました。
この状況に対し裁判長は、ある歌の存在を持ち出しました。
裁判長が言及した「償い」という歌
山室惠裁判長は「唐突だが、君たちはさだまさしさんの『償い』という唄を聞いたことがあるだろうか」と語りかけました。
「償い」は実際の出来事を基にした歌で、交通事故で加害者となった主人公が被害者の妻に対し、罪を償うために働いたお金を送り続けるという内容です。
この歌の歌詞に込められた反省と償いの深さが、少年たちに何かを気づかせようとした裁判長の意図でした。
【山室惠】氏出典元:URYU & ITOGA
少年たちの反応と判決後の動き
判決後、少年の一人の元に叔母から「償い」の歌詞が書き写された手紙が届いたと言います。
この出来事を受けて、少年たちは控訴することなく実刑を受け入れる決断をしました。
このような流れからも、裁判長の言葉が彼らの心に深く届いたことがうかがえます。
「償い」歌詞:作詞(さだまさし)
月末になるとゆうちゃんは薄い給料袋の封も切らずに
必ず横町の角にある郵便局へとび込んでゆくのだった
仲間はそんな彼をみてみんな貯金が趣味のしみったれた奴だと
飲んだ勢いで嘲笑ってもゆうちゃんはニコニコ笑うばかり
僕だけが知っているのだ彼はここへ来る前にたった一度だけ
たった一度だけ哀しい誤ちを犯してしまったのだ
配達帰りの雨の夜横断歩道の人影に
ブレーキが間にあわなかった彼はその日とても疲れてた
人殺しあんたを許さないと彼をののしった
被害者の奥さんの涙の足元で
彼はひたすら大声で泣き乍ら
ただ頭を床にこすりつけるだけだった
それから彼は人が変わった何もかも
忘れて働いて働いて
償いきれるはずもないがせめてもと
毎月あの人に仕送りをしている
今日ゆうちゃんが僕の部屋へ泣き乍ら走り込んで来た
しゃくりあげ乍ら彼は一通の手紙を抱きしめていた
それは事件から数えてようやく七年目に初めて
あの奥さんから初めて彼宛に届いた便り
「ありがとうあなたの優しい気持ちはとてもよくわかりました
だからどうぞ送金はやめて下さいあなたの文字を見る度に
主人を思い出して辛いのですあなたの気持ちはわかるけど
それよりどうかもうあなたご自身の人生をもとに戻してあげて欲しい」
手紙の中身はどうでもよかったそれよりも
償いきれるはずもないあの人から
返事が来たのがありがたくてありがたくて
ありがたくて ありがたくて ありがたくて
神様って思わず僕は叫んでいた
彼は許されたと思っていいのですか
来月も郵便局へ通うはずの
やさしい人を許してくれてありがとう
人間って哀しいねだってみんなやさしい
それが傷つけあってかばいあって
何だかもらい泣きの涙がとまらなくて
とまらなくて とまらなくて とまらなくて
この発言が社会に与えた影響
裁判官が具体的な曲名を挙げて説諭するのは異例のことです。
この発言は当時、新聞やテレビでも大きく取り上げられ、裁判の在り方や人々の反省についての議論を呼び起こしました。
「償い」に込められたメッセージが改めて注目され、多くの人々に考える機会を与えたのです。
裁判長の言葉が伝える深い教訓
山室惠裁判長が語った「償い」という言葉は、単なる謝罪の言葉ではなく、心からの反省と行動の重要性を教えてくれるものでした。
少年たちがその後どのように人生を歩んでいったのかは不明ですが、この裁判が彼らにとって大きな転機となったことは間違いありません。
最後に
2002年の山室惠裁判長の言葉は、司法における人間味あふれるアプローチの象徴とも言えます。
法律の枠組みを超えて、人の心に響く言葉を投げかけたその姿勢は、多くの人々の記憶に残り続けるでしょう。
裁判所という場で語られたこの感動的なエピソードは、私たちに罪と反省の本質を改めて考えさせてくれます。