内野聖陽さんは、その卓越した演技力で数々の名作に出演し、多くのファンを魅了してきた実力派俳優です。
実家は歴史を持つ寺院であり、幼少期から跡継ぎとしての期待を背負っていました。
しかし、大学時代に出会った英語劇が内野聖陽さんの人生を大きく変えることになります。
目次
内野聖陽 実家は寺院…俳優の道を選ぶまでの葛藤
内野聖陽さんの実家は、神奈川県横浜市港北区小机町にある曹洞宗の寺院「雲松院(うんしょういん)」です。
雲松院は1525年に建立され、500年の歴史を持つ由緒ある”お寺”で、内野聖陽さんはその長男として生まれました。
幼少期から跡取りとして厳しく育てられ、父親の後を継ぐことが期待されていましたが、思春期になると「本当に自分がやりたいことは何か」と悩むようになります。
中学・高校時代は、曹洞宗系の男子校「世田谷学園」に通い、僧侶の資格を取得。
檀家先でお経を読むこともありましたが、大学進学後に演劇と出会い、自己表現の魅力に惹かれていきました。
俳優を志す決意をしたことで、父親の期待を裏切る形となり、負い目を感じることもあったといいます。
内野聖陽 俳優の道を決意させた英語劇との出会い
内野聖陽さんが俳優を目指すきっかけとなったのは、早稲田大学在学中に参加した英語劇でした。
もともと引っ込み思案で人前で話すのが得意ではなかったものの、英語サークルで演劇を経験したことで、自己表現の楽しさに気づきます。
英語劇を通じて、言葉だけでなく表情や動作を使って感情を表現することの奥深さを知り、次第に演技に魅了されていきました。
内野聖陽 俳優としての第一歩 早稲田大学から劇団四季へ
内野聖陽さんは大学卒業後、俳優の道を進むことを決意し演技の経験を積むために劇団四季に入団しました。
劇団四季は、演技力だけでなく、身体表現や発声などの基礎を徹底的に鍛える場として知られています。
そこでの厳しいレッスンを受けながら、内野聖陽さんは俳優としての基礎を磨いていきました。
内野聖陽 映像作品への進出と知名度の向上
内野聖陽さんは舞台での経験を積み、次第に映像作品にも進出。
1990年代からテレビドラマや映画に出演し、幅広い役柄を演じることで注目を集めました。
特に大河ドラマや歴史作品での重厚な演技が高く評価され、実力派俳優としての地位を確立しました。
まとめ
内野聖陽さんが俳優の道を志すきっかけとなったのは、大学時代に出会った英語劇でした。
もともと人前で話すのが苦手でしたが、演劇を通じて自己表現の楽しさを知り、俳優としての道を切り開いていったのです。
実家の寺院を継ぐという期待とは異なる道を選びながらも、自らの信じる道を進み続けた結果、現在の名俳優としての地位を確立しました。
