菅田将暉さんがNHK『ワタシだけの革命史』に出演し、自身の俳優人生について語った内容が注目を集めています。
俳優を目指したきっかけや転機となった作品について、深掘りして解説します。
目次
菅田将暉が語る「3つの革命」
(0)デビュー
菅田将暉さんはデビュー当初、俳優になることに興味を持っていなかったと明かしました。
ジュノンボーイコンテストが流行しており、周囲の友人たちも挑戦していましたが、具体的に目指そうという思いはなかったと語りました。
転機となった『仮面ライダーW』
菅田将暉さんが俳優人生の大きなきっかけとなったのが『仮面ライダーW』。
ただし、オーディションには驚きのエピソードがありました。
監督:田崎竜太氏は「通常の仮面ライダーシリーズであれば選ばれていなかった可能性が高い」「一人で主役を務めるのは難しかったかもしれません、
その独特な雰囲気が二人主演の形式に適していた」と当時を振り返りました。
また、目力や心の強さが視聴者に愛されるキャラクターとして選ばれた要因だったようです。
オーディションの驚きのエピソード
菅田将暉さんは、オーディションで「オリジナルの変身ポーズをしてください」と求められ、
何も準備していなかったため初代仮面ライダーのポーズをそのまま披露。
「絶対に終わったと思った」と当時を振り返りました。
また、焼肉店で監督に「君たちの頑張り次第で仮面ライダーの長い歴史が終わるかもしれない」と言われ印象的だった、
そして「今でもその焼肉店の前を通るたびに当時の言葉を思い出します」と語りました。
王道俳優からの脱却
菅田将暉さんはデビュー後、2011年に自身プロデュースの写真集を出版し、王道のキラキラ系俳優として事務所にも歓迎される存在となっていました。
しかし、その裏では「このままでいいのか」という葛藤を抱えていたといいます。
その後、運命を変える原作作品との出会いが俳優人生を再定義する契機となりました。
この経験が現在の活動へとつながっています。
菅田将暉「3つの革命」
(1)『共食い』
芥川賞受賞作品である田中慎弥氏の『共食い』は、2012年に映画化され、この作品との出会いが菅田将暉さんに大きな転機をもたらしました。
出典元:映画『共喰い』オフィシャルサイト – ビターズ・エンド
この映画の監督:青山真治氏に対して、菅田さんは「青山監督には責任を取ってほしいです」と述べています。
この言葉には、映画が俳優としての人生に与えた深い影響が込められていました。
この経験が、役者人生における最初の「革命」となり、大きな変化を引き起こしました。
マネージャーの決断がもたらしたチャンス
映画出演のきっかけを作ったのは、新しく担当になったマネージャーのN氏でした。
N氏は原作の持つ魅力に惹かれ、この役をぜひ「菅田に演じてほしい」と考えました。
しかし、事務所は「濡れ場が多くR指定であり、順調なキャリアに影響を与える恐れがある」と反対します。
納得がいかないN氏は本人の意思を確かめたところ、菅田将暉さんは「やりたい」と即答。
しかし、オーディションまで時間がなく、N氏は戦略を練る余裕もありませんでした。
その時、菅田さんは舞台の仕事がうまくいかず悩み、目に覇気を失っていました。
それでもN氏は「そのままで行こう」と直感で決断し、この現状を活かして勝負に出ることを選びました。
この強い意思と直感的な判断が、運命を切り開く大きな一歩となったのです。
オーディションでの評価と期待
映画プロデューサー:甲斐真樹氏は、オーディションでの印象について、「金髪姿の彼は当初のイメージと異なりましたが、
落ち込んだような目つきが映画の世界観に合っていました」と振り返りました。
また、原作者:田中慎弥氏も「媚びない目」という表現でその独特な魅力を評価していました。
演技への指摘がもたらした成長
撮影中、青山監督は菅田将暉さんの演技に対し「雑だな」と指摘し、「明日からミリ単位で芝居をつける」と告げました。
この厳しい指摘に真剣な表情で向き合い、不器用さを持つキャラクターを見事に表現。
このやり取りが、彼が役者としての覚悟を深めるきっかけとなりました。
作品がもたらした成果と監督の逝去
映画『共食い』の現場ではキャストとスタッフの関係が良好で、一体感が生まれたと菅田将暉さんは語りました。
この結果、日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞するという成果に繋がりました。
しかし、青山監督は2022年に亡くなり、次回作を共に制作するという夢は叶いませんでした。
それでも、この作品で得た経験は、役者人生における礎となりました。
大きな転機となった出会い
「事務所からは『やる必要はない』と言われたが、自分は『コレだ』と思っていた。N氏だけが味方でした。
この映画との出会いで大きく変わり、映画の現場が何かを教えられました。他の選択肢は考えられなかった」と菅田将暉さんは振り返りました。
19歳でこの作品に挑んだ経験は、役者として生きる覚悟を決めた最初の革命であり、人生に深く刻まれるものとなりました。
爆発期
2014年からの4年間で、22本もの映画に出演。
この期間にスターへの階段を一気に駆け上がり、多くの注目を集めました。
特にこの時期には、俳優業だけでなく活動の場をさらに広げる革命的な出来事がいくつも訪れました。
2014年4月19日
そこのみにて光輝く(大城拓児 役)
2014年5月16日
闇金ウシジマくん Part2(加賀マサル 役)
2014年12月27日
海月姫(鯉淵蔵之介 役)
2015年1月17日
チョコリエッタ(正岡正宗 役)
2015年3月21日
暗殺教室(赤羽業 役)
2016年3月25日
暗殺教室〜卒業編~(赤羽業 役)
2015年5月16日
明烏 あけがらす(ナオキ 役)
2015年9月5日
ピース オブ ケイク(川谷 役)
2016年1月9日
ピンクとグレー(河田大貴 役)
2016年3月5日
星ガ丘ワンダーランド(清川雄哉 役)
2016年5月21日
ディストラクション・ベイビーズ(北原裕也 役)
2016年6月25日
二重生活(卓也 役)
2016年7月2日
セトウツミ(瀬戸 役)
2016年10月15日
何者(神谷光太郎 役)
2016年10月29日
デスノート Light up the NEW world(紫苑優輝 役)
2016年11月5日
溺れるナイフ(長谷川航一朗 役)
2017年1月28日
キセキ -あの日のソビト-(HIDE 役)
2017年4月29日
帝一の國(赤場帝一 役)
2017年7月14日
銀魂(志村新八 役)
2018年8月17日
役銀魂2 掟は破るためにこそある(志村新八 役)
2017年10月7日
あゝ、荒野 前篇(新宿新次 役)
2017年10月21日
あゝ、荒野 後篇(新宿新次 役)
2017年11月23日
火花(徳永 役)
CM出演での大きな転機
2015年にはCM出演作品がさらに増加しました。
また、この年に出演したCMが現在でも続くヒットシリーズとなり、幅広い人気を獲得するきっかけとなりました。
ファッションアイコンとしての台頭
2016年にはベストドレッサー賞を受賞し、ファッションアイコンとしても注目を集めました。
この頃、街中ではそのスタイルを取り入れる若者が増えたとされています。
古着への興味が芽生えたきっかけについて、「仮面ライダーの共演者である桐山漣さんに、お前のカッコはダサい!と言われ、
誘われて渋谷や原宿で古着を見て回ったことがきっかけ」と語りました。この経験が、ファッションへの転機となったようです。
マルチな活動とさらなる飛躍
2017年にはCDデビューや映画への多数出演が相次ぎ、さらにラジオ番組にも出演し活動の幅を一層広げました。
当時の多忙さについて、「忙しすぎて覚えていない」と振り返るほど充実した日々を送っていた様子が伺えます。
経験がもたらす現在への影響
この期間に培った多岐にわたる活動と経験が、現在の活躍につながっていることは間違いありません。
演技、音楽、ファッションなど、幅広い分野での活動が、多くの人々を魅了し続けています。
菅田将暉「3つの革命」…(2)『あゝ、荒野』
『あゝ、荒野』この作品は、菅田将暉さんにとって俳優人生の大きな転機となりました。
出典元:映画『あゝ、荒野』公式サイト ULM Co.,Ltd.
寺山修司氏の伝説的な戯曲を現代の新宿に舞台を置き換え、少年院帰りの新次と吃音症に悩む健二という2人の若者がプロボクサーを目指す姿を描いています。
友情と葛藤の末、2人が拳を交える運命が切なくも力強く描かれています。
岸善幸監督の撮影スタイル
監督:岸善幸氏は、一切の演技指示やリハーサルを行わない独自の手法を採用しました。
菅田将暉さん達は即興的な演技を求められ、その場で生まれるリアルな感情や動作を表現する必要がありました。
「テストなしの一発本番」という環境の中で、日常的な演技では許されないレベルの精度が要求されました。
ただし、ボクシングシーンだけは綿密な準備が行われ、リアルさと緊張感を追求しています。
撮影への挑戦
出演者のトレーニングは非常に厳しいものでした。
ボクシング指導:松浦慎一郎氏によると、菅田将暉さんは初日のトレーニングでは酸欠で倒れ吐く場面もあったそうです。
しかし、その後も挑戦を続け、腹打ちのトレーニングや長回しのワンカットシーンに対応することで、リアルなボクシングシーンを実現したと絶賛しました。
コメントと覚悟
菅田将暉さんは、「こんなに肉体を使う役は初めて」と、岸監督の演技プランについても「新鮮で楽しかった」と振り返りました。
また、ボクシングシーンでは「役者としてではなく、本物のボクサーにならなければならなかった」という覚悟を示しました。
作品の影響
この映画で日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞し、菅田さんは「現場の人たちへの恩返しをしたい」という思いを明かしています。
以降の作品においても、この映画を超えることを目指し、俳優人生の指針としています。
『あゝ、荒野』は、菅田将暉さんにとって演技の幅を広げ、俳優としての覚悟と成長を象徴する重要な作品です。
リアルを追求した撮影スタイルや肉体を駆使した演技は観客を感動させ、多くの人々に深い印象を残しました。
この作品が与えた影響は、その後のキャリアにおける大きな糧となっています。
菅田将暉について評論家が語る
映画評論家:森直人氏は、映画『そこのみにて光輝く』をきっかけに、ある菅田将暉さんの演技力に驚いた。
この作品では、ハングリーな世界に生きる青年像を見事に表現し、リアルさと説得力を持たせたことが高く評価され、
その存在が持つスター性やアイコン性が非常にクリーンであり、それが現代の時代性と一致している。
また、2010年代は震災の影響もあり、繊細さや共感が重視される時代でした。
このような時代背景の中で、暴力的な役柄であってもニュートラルな視点を通じて共感を引き出す演技が特に際立っていると語りました。
そして70年代の松田優作、90年代の浅野忠信、そして2010年代の象徴として菅田将暉、これらの俳優たちは、
それぞれの時代に若者像を体現しつつ、芸能界の匂いをあまり感じさせない点で共通している。
また、映画を超えた表現活動を行う独立した存在として支持されている点も重要だと語りました。
アイドル性への距離感
一方、映画評論家:金原由佳氏は、菅田将暉さんが時代のアイコンになろうとしていない点を評価しています。
菅田将暉さんはキネマ旬報の取材で、リヴァー・フェニックスやカート・コバーンの名前を雑誌で見て、
その雑誌を閉じたというエピソードを紹介しています。
このエピソードは、時代の象徴となった人物が重圧や消費によって、若くしてこの世を去ったことへの反応として語られています。
菅田将暉さんは、アイコンになることが必ずしも幸せではないと考え、
それに対して一定の距離を取るスタンスを持っていると金原氏は分析しています。
菅田将暉さんは20代半ばまでは時代のアイコンになろうとしていたものの、その後はトレンドにならないことを目標に方向転換を図った。
また、舞台での経験を通じて、演技にのめり込むことの危険性や、自身の肉体と精神を大切にしながら、
長く生きていくことの重要性についても考えるようになったと述べています。
【リヴァー・フェニックス】(1970~1993)
「スタンド・バイ・ミー」で脚光を浴び
俳優の枠を超える存在に
(23歳で麻薬中毒死)出典元:Wikimedia Commons
【カート・コバーン】(1967~1994)
グランジロックの先駆け「ニルヴァーナ」の中心人物
音楽、ファッション、スタイルに影響を残す
(27歳で自殺)出典元:Wikipedia
菅田将暉が語る「3つの革命」…(3)音楽とラジオ
菅田将暉さんは俳優としての活動だけでなく、音楽やラジオという異なる分野での挑戦が、新たな一面を広く伝え、多くの人々に驚きと感動を与えています。
音楽活動やラジオ番組でどのような革命がもたらされたのかを振り返ります。
武道館ライブと音楽活動の挑戦
デビュー以来、多くのヒット曲が生まれましたが、その歌声への評価は賛否両論に分かれました。
「感動した」という声がある一方で、「歌が下手だからもう歌うな」という厳しい意見も見られます。
この評価の分かれ目について、音楽プロデューサー:Sundayカミデ氏は、普通に行くだろうと思われるメロディーを、
瞬間瞬間で自分なりのものに変えることがあるように感じます。
音符通りに合わせるよりも、表現力を重視している印象です。
そのため、ライブでは独自の表現を楽しむことができ、評価が分かれるほど良いライブだと感じます。
音符通りに歌うことが全てではなく、その場で変化を楽しむ姿勢が音楽活動を通じた最大の魅力となっていると語りました。
ラジオ番組が見せた新たな一面
菅田将暉さんは音楽だけでなく、もう一つの挑戦として「オールナイトニッポン」のラジオ番組が挙げられます。
この番組は5年間にわたり、毎週月曜深夜に放送され、多くのリスナーに親しまれました。
担当放送作家:福田卓也氏は、この番組について次のように述べています。
「菅田さんは普段、おしゃべりを仕事にするわけではなく、プライベートを切り売りすることも少ないです。
そんな中、何でも話してくれる姿勢とノリの良さを見せてくれました。
自分自身を俯瞰で見て、時にはいじられることで、リスナーと一緒に楽しむ番組ができました。
ラジオではリスナーから寄せられるメールを通じて、世の中のトレンドや人々の考えに触れる機会を得ることができ、
俳優業では得られない視点を持つ場となりました。
この活動は、俳優としてだけでなく、一人の人間としての魅力を広く伝える役割を果たしている」と語りました。
菅田将暉と平子の会話
菅田将暉さんと進行役のアルコ&ピース・平子さんの会話がとても興味深かったので、最後にご紹介します。
「自分自身、歌が下手なんじゃないかという意見についてはどう思いますか」
「いや、そうだと思いますよ。僕、下手なので」
「俺の意見は安定しないなという印象がある」
「だからあんまり仕事と思ってないです。本当にお客さんには申し訳ないですけど、
一生懸命やっているけれど、僕なりの音楽の一生懸命は自己満足なんです」
「多分今歌っている今日の菅田さんと、明日歌う菅田さんは違うんだろうなと感じる。
それがすごい」
「俳優業だけでは物足りないわけではないけれど、何か溜まっていく感情があった。
自分を自由に表現できる場所としてラジオと音楽を始めた」
「アイコンではないよね。ラジオでいじられるなんて」
「本当ですよね。アイコンは自分をいじらないですもんね」
「リヴァー・フェニックスもラジオではいじられないでしょうね」
菅田将暉さんの飾らない本音と、音楽やラジオという自己表現の場を通じて見える人間味のある一面が垣間見える対談でした。
彼の活動には、俳優としての枠にとどまらない自由なクリエイティビティが感じられます。
まとめ
菅田将暉さんが振り返る人生の中での3つの革命。
その過程を通じて、彼が感じた変化や考えについて語った言葉がとても印象的です。
これまで俳優として、またアーティストとして多くの活躍を見せてきました。
しかし、彼自身が感じているのは、自分の中で肥大化した存在感と、普段の自分とのギャップです。
「今まで菅田将暉というお芝居だったりメディア上での生物が、やっぱり肥大している感覚というか。
生活している普段の自分は、本当に小学生ぐらいから変わっていない感じがするから、ちょっとこっちを育てないとな」と、
最後に語りました。
この言葉から、菅田将暉さんが抱える葛藤や自己成長への意欲が伝わります。
メディアや舞台上での姿とは異なる普段の自分に目を向け、その部分を育てていくことで、さらなる成長を目指しているのかもしれません。
俳優として、アーティストとして、そして一人の人間としての菅田将暉さん。
その三つの革命を通じて得たものは、彼にとってこれからの道しるべになるでしょう。
トレンディー壺
情報:NHK総合 『「菅田将暉」ワタシだけの革命史』