お笑いコンビ「バナナマン」の設楽統さんは、今でこそテレビ番組やラジオで大活躍していますが、実は芸人になる前に西武鉄道で駅員として働いていた過去があることをご存知でしょうか。
当時の設楽さんは、イケメン駅員として学生たちの間で話題になってました。
さらに、独特なアナウンスで先輩たちからも愛されていました。
今回は、そんな設楽統さんの西武鉄道時代に迫ります。
設楽統 西武鉄道に就職したきっかけ
設楽統さんは1992年3月に埼玉県立秩父農工高等学校機械科を卒業し、翌月に西武鉄道へ就職しました。
実は、設楽さんの父親は西武グループの西武長瀞ホテルで支配人を務めており、その縁もあって西武鉄道へ入社しました。
当時の設楽さんは、鉄道業界で働くことについて深く考えたわけではなく、自然な流れで駅員としての仕事をスタートさせたそうです。
設楽統 小手指駅で駅員として勤務
設楽統さんは、西武鉄道の池袋線小手指駅で駅員として勤務していました。
出典元:Wikipedia
その期間は約半年ほどと短いものでしたが、当時の設楽さんは普通の駅員とは一味違うスタイルで仕事をしていました。
特にアナウンスには独特のセンスがあり、「白線の内側で“伏せて”お待ちください」などのユーモアを交えた言葉を使うこともあったそうです。
一般的な駅員ならば注意を受けそうな発言ですが、意外にも先輩駅員たちにはウケが良く、可愛がられていました。
設楽統 学生たちの間で人気に
設楽統さんは、駅員時代に学生たちの間で「イケメン駅員」として注目を集めていました。
バラエティ番組『バナナマンのせっかくグルメ!!』では、設楽さんの駅員時代を知る女性が登場し、そのエピソードを語る場面もありました。
普段から明るく親しみやすい性格だった設楽さんは、乗客たちにも好印象を与えていたようです。
設楽統 芸人への転身 西武鉄道を退職しバナナマン結成へ
設楽統さんは西武鉄道での勤務を半年ほどで終え、お笑いの道へ進むことを決意します。
1993年に日村勇紀さんと共にお笑いコンビ「バナナマン」を結成し、芸人としてのキャリアをスタートさせました。
当初は苦労も多かったようですが、現在ではテレビやラジオなど多方面で活躍する人気芸人となりました。
西武鉄道時代の経験も、人とのコミュニケーション能力を磨く貴重な時間だったのかもしれません。
bananaman_goods_official(@bananaman_goods_official)
Instagramより引用
まとめ
設楽統さんは、西武鉄道の駅員として働いていた過去を持ち、当時はイケメン駅員として学生たちの間で人気を集めていました。
また、ユーモアあふれるアナウンスで先輩駅員たちにも愛されていたことがわかります。
このような経験が、現在のバラエティ番組での活躍につながっているのかもしれません。
